
ウィステリアハウスの歩みとともに…

ウィステリアハウスの歩みとともに…
てんかんの新薬を服用させて、夜は寝るけれども、母親の私のカンが「良くなっている感じではない…」とシグナルを出していた、ように思います。
しかも、ものすごいスピードで太りだしました。
喉が渇くのか、加糖たっぷりのジュース類を、がぶ飲みです。何しろジュースばかり飲みます。主治医からは、向精神薬の影響もあると言われましたが、持っていたボトムスも、どんどん入らなくなります。気がついたら、もともとやせ型だったのに、体重は90キロを超えていました。
それでも、てんかん発作で倒れる回数は減ってきています。一方で、時々フワッと怒り出すのですから、見守る方は落ち着く暇がありません。
私が単独で外出時に自宅に長男を置いていく日は父や祖母が付いているのですが、長男もお母さんがいないと不安だし、父も祖母も、長男をコントロールしきれるかとヒヤヒヤしながら見守ります。
主治医は、「体重からみたら、まだ、薬の量が足りていません。少しずつ増やしましょう。」と言われます。
そう、薬が足りていないから不安定なのだ。
そう…か?
本当にそうか??
母親としてのカンがざわざわしているのでした。
新しい薬が「よさそう」と思いながら、それでもまだまだ出現する爆発的な乱暴な行為…主治医に相談すると「もともとの障害特性もあるでしょうから、一概に、てんかんの影響も言えないです」と言われました。
確かに。それはそうなのでしょう…理解できます。でも、自分の中では納得がいかない感じでした。
それでも、前よりは、なにしろ、夜、少しでも寝てくれるのです。私も寝ることができました。
そのころ、私はPTA活動で全国規模のイベントの幹事をしており、1時間以上移動時間をかけて会議場所や作業場所に通っていました。朝は長男をたたき起こし「お願いだから早くして」とせかし、朝ごはんもそこそこに登校時間に車で学校に送っていき、学校近くのコインパーキングに車を止めて、電車に乗り換え、打合せ会場へ向かいます。
学校から「発作です」と連絡があってもすぐには戻れません。午前中に発作があったとしても結局は下校時間ギリギリのお迎えになりました。先生も事情を把握してくださっていて、私への非難めいたことは一切なく、長男の体調の心配だけをして対応にあたるという姿勢に、どれほど救われたか分かりません。
さらには担任の先生がてんかんについて学びを深めてくださっていたことも、ありがたかったです。
さまざまな情報を伝えてくださいました。ご自身で本を読んだり調べていることが伺えました。私は話がよりいっそう、しやすくなりました。それも大きな支えになりました。
長男と、PTAに関することでこの状態でありながら…この時期、長女の中学受験が重なっていました。
ここに長女の塾の送迎が加わってきます。このきょうだい児のエピソードは、また改めてお話したいと思います。
小児科から、成人対象の脳神経クリニックへ転院の一番の変化は、薬の内容です。
てんかんのお薬の種類も、精神症状へのお薬の種類も、パターンも違うことを知りました。
「なんかわからないけど、前よりは、良いと言えそう」感想としてはこれに尽きました。ただ、時々現れる落ち着きのなさや、不安定さ、イラつき方が、前よりも強いエネルギーを使っている気がする。ぼーっとしている時が日常とするならば、突然、スイッチが入る。スイッチが入った時は、ものすごい力で、自分をたたく、物を壊す。
壁を蹴り、殴り、穴をあける。
タブレットを床に投げつける。
ものすごい大きい声を出す。
ドアをものすごい勢いで閉める・・・
きりがないのですが、一言でいえば「乱暴」になるのです。
てんかんの薬は、まだ体重に見合った量ではない。血中濃度もまだ低い。少しずつ薬の量が適量になれば、落ち着いていくんだろう、もう少しだ、もう少し…。急激に増やすことができないてんかんの薬の調整にもどかしさを感じながら、落ち着く息子を思い描き、荒れた行動をする子を前にドキドキびくびくして、なだめたり、励ましたり、時には叱りながらも、乗り越えようと必死でした。