
ウィステリアハウスの歩みとともに…
ウィステリアハウスの歩みとともに…
病院を転院し、大人のてんかんの専門の主治医が診てくださることになりました。
とても高名な先生です。息子は「人に恵まれる」何かを持っていて、ご縁がある方は、素晴らしい方ばかり。この時もそれに違いませんでした。
まずは発作が落ち着くことを目指して。これまでの薬を減らしたり、新しい薬を取り入れたり。これもまた、大変なことの1つでした。重度の知的障害があり、言葉の使い方が分からない長男には、この薬がいいのか悪いのかを、言うことができないのです。
一番身近で見ている私が、「眠気が強くなったようだ」「だるそうだ」「食欲がなくなったようだ」と、感想を伝える事しかありません。
発作の頻度や状況が第一判断とはいえ、薬の影響で本人が辛いとなれば、一般的には医師が本人の話を聞き調整していくものでしょう。。しかし長男の場合は、本人が本人の事を分かっていない。眠くて寝てばかり、だるくてゴロゴロしっぱなし、食欲がないから食べない…本人はこれに対しても、「良い」「悪い」判断もありません。むしろ家族が「1日中寝てばかりで心配」「家でだるそうにしているのが見ていて辛い」「食事を作っても食べない」思うことを先生にお伝えしていくだけです。
本人の気持ちが分からないまま、周りで「良い悪い」を判断し、薬の調整をしていく。
そうやって様子を見ていくうちに、本人がイライラすることが増えてきたのです。
ウィステリアハウスを建てるにあたり「長男に障害がある」とお話ししました。その長男とのことを少しずつ、お話したいと思います。長男の障害とその障害に向き合ってきたことを自身も振り返りたいと思ったからです。
自身の事をこの場に載せることを迷いながらも、この場だからこそ、言葉を選び、慎重に書くことができると思いました。選びすぎて、何を言っているのか分からなくならないように、努めていきたいと思います。
では。はじめてみます。まずは、長男の障害についてから…
長男は重度の知的障害で、難治性てんかんです。そのてんかんから、お話します。
てんかんの最初の発作は小学校2年生の冬でした。ベッド上で意識が飛んでいて、それからふら~っと倒れました。痙攣はなかったのですが、脳波検査でてんかん波はありましたから、発達遅延として経過観察中の小児科の主治医から「発作でしょう」と言われたところから、薬を服用しています。
それから4年経った6年生の時。痙攣を伴う発作が月に1回、出るようになりました。薬の増加で半年ほどで落ち着きました。
そしてさらに4年経った高校1年生の時。ある日をきっかけに1日おき、3日に1回と、大きな痙攣が伴う発作が続くようになりました。薬を増やしても回数が減りません。さらには眠くならないようなのです。36時間起きていて12時間寝る。しかも、起きている36時間中はハイテンションです。私は寝不足で気が狂いそうでした。
ずっと同じ小児科に通っていましたが、使える薬が限られる、ということで、大人のてんかん専門病院へ転院しました。そこで処方された薬で、てんかん発作が月に1~2回程度になりました。さらには夜になれば寝るようになりました。ああ、よかった、このまま安定するかと薬を徐々に増やしていたら…想像を絶することが起きていったのです…つづく
ウィステリアハウス正面玄関に面した緑道に、
ショウブが咲いています。ハナショウブでしょうか。
自生というには、場所的に無理がありますから、どなたかが株を置いて行かれたのか…
お花を前に、あれこれ考えずともよろしいかと。「きれい!」楽しませていただいています。