~障害のある息子がいたから~

この事業を始めたきっかけとなる、息子の、てんかんとの闘いの記録です。

障害のある息子がいたから~その8(強度行動障害?)~

自傷の頻度はますますひどくなっていきます。

理由は何?薬の関係?生活の関係?私のせい?なんでなんで…?

その話をすると、主治医にも、学校の先生にも、

いつ、どのように、そうなるのですか、と聞かれますが、記憶だけだと混乱してしまうことに気が付きました。

そこで、モニタリングを開始しました。

まずは手持ちのスケジュール帖に、それから記録用紙を準備して、服薬の時間と生活(入浴や食事)と、イラつきや自傷があったことを記入していきました。てんかん発作も書き込んでいきます。易怒性が出た薬をやめたことで、発作の頻度も一気に増えました。

記録をつけてみて…すぐに規則性が見つかるわけでもありませんでした。

頻度が可視化され、今日も一日大変だった・・・の振り返りでした。

 

 

 

ただ、付けているうちにお風呂の後に自傷が多くなってきていることが

分かりました。

自分の頭を、顔をグーパンチで殴り続けます。顔が真っ赤にはれ上がります。

それからしばらくして、脱衣場で壁も叩くようになりました。

また他害の始まりです。それでも前のような異常さはないものの…まず、怒りだすと指をかみ始め、

それから、壁を一撃!

暫くすると、一撃ではなく、続けて2回3回!!バンバンバン!!

そのうち、足でも壁蹴り。ドン!!

狙っているのか?!と思うほど、一撃、一蹴の度に壁に穴が開いていきます。

壁の内側が見えて、中の石膏?白い塊がパラパラパラ~~と落ちていくのです…

(写真はイメージです)

主治医にこの状況を説明すると、「障害特性もあるから…強度行動障害かもしれませんね…」

と言われたのです。

「こだわりからくるのではありませんか?」「何か気付きはありませんか?」

…私は、

ここまでの子育ての経験から、長男のことで分からないことなんて、ない!!…と思っていただけに、

その問いに、ものすごい衝撃を受けました。

障害のある息子がいたから~その7(変化は次の始まり)~

薬を止めて、あの異常な異形さは無くなりました。

イラつくことはありますが、「ああ、長男だな」と感じます。

主治医からは、まず、「易怒性」が副作用に書かれてある薬はやめ、小さいころから服薬していた薬だけで様子を見ることになりました。

異常と感じる事は少し和らいだものの、イラつくことは変わりありませんので、ふっとイライラしだすときには、「原因は何だろう?」「何が気に障ったのかな?」と私も家族もびくびくしながら辺りを見回し、もしかしてこれかな?と思うことがあれば「ごめんね、すぐに移動するね」と誤って片付ける、移動するなどしていました。

家族は、すぐに「ごめんね」と謝るようになっていました。家族の対応に非があるわけでもないのに・・・。なにしろ、長男の怒り方が本当に怖かったので、自然と反応してしまうようになっていたのだと思います。

そのイラつき方がこれまでとは違う、と気づくようになりました。というのも、イラついたときに、ヒトやモノに当たるのではなく、自傷が増えてきました。

たたく場所は、胸か、頭。特に頭が多いように感じます。胸をたたくときはまるでゴリラのドラミング?

でも家の中を壊していくより、私に襲い掛かってくるよりも、まだ良いかな・・・などと、この後の事を思えばその場しのぎの感覚を持っていたことを思い出します。

 

障害のある息子がいたから~その6(壊れた…)~

その日は、来るべくしてきたように思います。

ソファーに座っている長男の前を私が通っただけで、ものすごい形相で、睨む→立ち上がる→襲い掛かってくる。

これも当たり前になりつつありました。座ったまま、殴ろうとしてくる拳、突き出す足を、私はひょいひょい避けていました。この時には、ターゲットは私だけではありません。お父さんはしょっちゅう、この攻撃に当たっているのを見ては、「避けかたが下手ねえ~」とさえ思ってみていました。

しかし、その日は違いました。我が子であって我が子ではない、ものすごい異様な異形のオーラをまとっている感じでした。特に「目」を見た時、私の体内に流れている血液の温度が一瞬で上がった気がしました。そして反射的に、長男の前から逃げました。

すると、長男は立ち上がり、私を追いかけてきました。しかし、動作はそこまで機敏ではありません。振り返ってみると、彼は立ち止まって部屋にある鏡に映った自分を見て、睨みつけ、鏡を一撃して割ります。少し進んで、今度は窓ガラスに映った自分を見て、窓ガラスを一撃、蹴り、割ります。そして怒り心頭の様子で、自室に行き、備え付けのクローゼットの扉を力任せに引き、壁との蝶番ごと、外してしまいました。

何しろすごい力です。

私も、家族も、もう限界!!もう、無理!!!

かかりつけ病院に電話をし、主治医に訴えました。「ものすごい暴力的です、止めようがありません!!」

先生は、「薬の服用をやめてください。」「二次救急(※)の連絡先は分かりますか?」「場合によっては警察に電話してください」とのことでした。

長男を見に行くと、クローゼットの扉を外して、あまりの大きさと重さに、本人も耐えかねて一緒に倒れこんでいました。

水分を欲しがるだけ与えて…とりあえず、落ち着いてくれたので、二次救急は呼びませんでした。その先の処置の現実を、私は見知っていたからです。今日は、様子を見よう、と思いました。

その日の夜は、指示通り、抗てんかん薬、向精神薬はすべて止めました。睡眠剤だけ飲ませました。そして、翌日、「また暴れたらどうしよう」とドキドキヒヤヒヤしながらも、車で主治医へ連れて行ったのです。

車で約1時間。緊張の運転だったのを覚えています。

主治医からは、薬の副作用にかかれている「易怒性(いどせい)」、これに当てはまる可能性があると言われました。「薬の影響なら薬をやめれば治まります」と言われて、まだも祈るような気持ちで、てんかんの薬を1種類、医師の指示の下、やめました。

気のせいか、止めて1日で、怒りのスイッチが小さくなり、あの異様なオーラは消えました。

※…精神救急のこと。

 

障害のある息子がいたから~その5(今にも壊れそう…)

てんかんの新薬を服用させて、夜は寝るけれども、母親の私のカンが「良くなっている感じではない…」とシグナルを出していた、ように思います。

しかも、ものすごいスピードで太りだしました。

喉が渇くのか、加糖たっぷりのジュース類を、がぶ飲みです。何しろジュースばかり飲みます。主治医からは、向精神薬の影響もあると言われましたが、持っていたボトムスも、どんどん入らなくなります。気がついたら、もともとやせ型だったのに、体重は90キロを超えていました。

それでも、てんかん発作で倒れる回数は減ってきています。一方で、時々フワッと怒り出すのですから、見守る方は落ち着く暇がありません。ドアを乱暴に閉めたり、物を投げたり、大きい音や声を出したりは、日常茶飯事です。

私が単独で外出時に自宅に長男を置いていく日は父や祖母が付いているのですが、長男もお母さんがいないと不安だし、父も祖母も、長男をコントロールしきれるかとヒヤヒヤしながら見守ります。

主治医は、「体重からみたら、まだ、薬の量が足りていません。少しずつ増やしましょう。」と言われます。

そう、薬が足りていないから不安定なのだ。

そう…か?

本当にそうか??

母親としてのカンがざわざわしているのでした。

 

~障害のある息子がいたから~その4(変化に違和感)

 

新しい薬が「よさそう」と思いながら、それでもまだまだ出現する爆発的な乱暴な行為…主治医に相談すると「もともとの障害特性もあるでしょうから、一概に、てんかんの影響も言えないです」と言われました。

確かに。それはそうなのでしょう…理解できます。でも、自分の中では納得がいかない感じでした。

それでも、前よりは、なにしろ、夜、少しでも寝てくれるのです。私も寝ることができました。

そのころ、私はPTA活動で全国規模のイベントの幹事をしており、1時間以上移動時間をかけて会議場所や作業場所に通っていました。朝は長男をたたき起こし「お願いだから早くして」とせかし、朝ごはんもそこそこに登校時間に車で学校に送っていき、学校近くのコインパーキングに車を止めて、電車に乗り換え、打合せ会場へ向かいます。

学校から「発作です」と連絡があってもすぐには戻れません。午前中に発作があったとしても結局は下校時間ギリギリのお迎えになりました。先生も事情を把握してくださっていて、私への非難めいたことは一切なく、長男の体調の心配だけをして対応にあたるという姿勢に、どれほど救われたか分かりません。

さらには担任の先生がてんかんについて学びを深めてくださっていたことも、ありがたかったです。

さまざまな情報を伝えてくださいました。ご自身で本を読んだり調べていることが伺えました。私は話がよりいっそう、しやすくなりました。それも大きな支えになりました。

長男と、PTAに関することでこの状態でありながら…この時期、長女の中学受験が重なっていました。

ここに長女の塾の送迎が加わってきます。このきょうだい児のエピソードは、また改めてお話したいと思います。

障害のある息子がいたから~その3(行動変化)~

小児科から、成人対象の脳神経クリニックへ転院の一番の変化は、薬の内容です。

てんかんのお薬の種類も、精神症状へのお薬の種類も、パターンも違うことを知りました。

「なんかわからないけど、前よりは、良いと言えそう」感想としてはこれに尽きました。ただ、時々現れる落ち着きのなさや、不安定さ、イラつき方が、前よりも強いエネルギーを使っている気がする。ぼーっとしている時が日常とするならば、突然、スイッチが入る。スイッチが入った時は、ものすごい力で、自分をたたく、物を壊す。

壁を蹴り、殴り、穴をあける。

タブレットを床に投げつける。

ものすごい大きい声を出す。

ドアをものすごい勢いで閉める・・・

きりがないのですが、一言でいえば「乱暴」になるのです。

てんかんの薬は、まだ体重に見合った量ではない。血中濃度もまだ低い。少しずつ薬の量が適量になれば、落ち着いていくんだろう、もう少しだ、もう少し…。急激に増やすことができないてんかんの薬の調整にもどかしさを感じながら、落ち着く息子を思い描き、荒れた行動をする子を前にドキドキびくびくして、なだめたり、励ましたり、時には叱りながらも、乗り越えようと必死でした。

障害のある息子がいたから~その2(薬の調整)~

病院を転院し、大人のてんかんの専門の主治医が診てくださることになりました。

とても高名な先生です。息子は「人に恵まれる」何かを持っていて、ご縁がある方は、素晴らしい方ばかり。この時もそれに違いませんでした。

まずは発作が落ち着くことを目指して。これまでの薬を減らしたり、新しい薬を取り入れたり。これもまた、大変なことの1つでした。重度の知的障害があり、言葉の使い方が分からない長男には、この薬がいいのか悪いのかを、言うことができないのです。

一番身近で見ている私が、「眠気が強くなったようだ」「だるそうだ」「食欲がなくなったようだ」と、感想を伝える事しかありません。

発作の頻度や状況が第一判断とはいえ、薬の影響で本人が辛いとなれば、一般的には医師が本人の話を聞き調整していくものでしょう。。しかし長男の場合は、本人が本人の事を分かっていない。眠くて寝てばかり、だるくてゴロゴロしっぱなし、食欲がないから食べない…本人はこれに対しても、「良い」「悪い」判断もありません。むしろ家族が「1日中寝てばかりで心配」「家でだるそうにしているのが見ていて辛い」「食事を作っても食べない」思うことを先生にお伝えしていくだけです。

本人の気持ちが分からないまま、周りで「良い悪い」を判断し、薬の調整をしていく。

そうやって様子を見ていくうちに、本人がイライラすることが増えてきたのです。

障害のある息子がいたから ~その1~

ウィステリアハウスを建てるにあたり「長男に障害がある」とお話ししました。その長男とのことを少しずつ、お話したいと思います。長男の障害とその障害に向き合ってきたことを自身も振り返りたいと思ったからです。

自身の事をこの場に載せることを迷いながらも、この場だからこそ、言葉を選び、慎重に書くことができると思いました。選びすぎて、何を言っているのか分からなくならないように、努めていきたいと思います。

では。はじめてみます。まずは、長男の障害についてから…

長男は重度の知的障害で、難治性てんかんです。そのてんかんから、お話します。

てんかんの最初の発作は小学校2年生の冬でした。ベッド上で意識が飛んでいて、それからふら~っと倒れました。痙攣はなかったのですが、脳波検査でてんかん波はありましたから、発達遅延として経過観察中の小児科の主治医から「発作でしょう」と言われたところから、薬を服用しています。

それから4年経った6年生の時。痙攣を伴う発作が月に1回、出るようになりました。薬の増加で半年ほどで落ち着きました。

そしてさらに4年経った高校1年生の時。ある日をきっかけに1日おき、3日に1回と、大きな痙攣が伴う発作が続くようになりました。薬を増やしても回数が減りません。さらには眠くならないようなのです。36時間起きていて12時間寝る。しかも、起きている36時間中はハイテンションです。私は寝不足で気が狂いそうでした。

ずっと同じ小児科に通っていましたが、使える薬が限られる、ということで、大人のてんかん専門病院へ転院しました。そこで処方された薬で、てんかん発作が月に1~2回程度になりました。さらには夜になれば寝るようになりました。ああ、よかった、このまま安定するかと薬を徐々に増やしていたら…想像を絶することが起きていったのです…つづく

Scroll to Top